マルドゥック・ヴェロシティ

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)


読了。
マルドゥック・スクランブル』より以前の時間軸を描く。『スクランブル』では強敵として登場したボイルドと、あらゆる武器・道具に変化するネズミ・ウフコックがまだ同朋だったときの話。そして決別までの話。
スクランブル』を読んでいれば、ボイルドとウフコックのコンビの末路や、彼らの仲間たちが悲劇的な経過を辿るのはわかっているのだけど、その裏側には『スクランブル』と語られる内容からは見えない葛藤や絶望が見え隠れしていて、興味深かった。違うかもしれないけど、歴史小説の構図に似てるのかしら。主要な事件と結末は読者も知っている。しかしそこからは見えない詳細や裏側を語る。
例えば、物語の序盤、主人公であるボイルドには12人の仲間がいるんですが、「ああ、こいつらみんな死ぬんだろうなぁ」とか思ってしまう。
と思って、改めてキャラクター紹介を眺めていたら――うあ、敵味方その他問わず、この中の九割死んでる……。
ふぅむ。
内容も、盛衰を描く物語だから陰鬱になるし。敵対する集団は拷問官だからやることなすことエグいこと極まりないし。背景にある、都市の権力争いやら、血縁をめぐるドロドロした展開も毒々しい。
あとがきに、作者が半ば狂乱しながら書いた様が生々しく書かれているけど、なるほど。
例えば俺もこの間、裂いた腹に生徒手帳を突っ込まれたネズミの描写とか書いたのですが、それだけでご飯がまずくなりました。どんな文章がへなちょこでも、書いてる作者の感情移入度は半端ないです(ネズミの死骸の臭いを感じた)。
それがプロ作家、しかもこんな大作なら、なるほどそりゃ精神も不安定になりますな。
作者が狂気に陥らねば、狂気に満ちた話は書けない――って、ただ狂気に陥っただけでは物語は作れないとも思いますが。
とにかく、いろんな意味ですごい話でした。
よく読みきったなぁ。
まあ、それらネガティブな要因がすべて、ボイルドという男に宿る虚無に呑みこまれていくのは、黒い爽快感がありますが。ボイルド自身、自らの虚無に呑みこまれるわけですけど。
その圧倒的な虚無を見せつけられた後で、三巻の帯の裏には『スクランブル』のキャッチコピーとして、こうあります。
精神の輝きに、虚無は屈伏する。
うおぉぉぉっ!
真の爽快感はここにありました。


ところで、文体がかなり特殊ですね。
白翁さんか誰かが以前、「冲方丁の文章は単語で読ませている」と言っていた気がするのですが、これはそれを先鋭化した感じですね。台詞以外、ほとんど単語と記号だけで構成された文章。九割以上が体現止め。うーん、開き直ってる。
最初は読みづらいことこの上なかったけど、だんだんと意味はわかってくるから不思議です。
逆に、単語の並びを読みやすいので、日本語としての文章の流れを見るには、いいかもしれません。