『ひかりをすくう』と言葉の限界

ひかりをすくう

ひかりをすくう

仕事がストレスで続けられなくなった主人公の女性が、同棲して主夫をしてくれてる恋人と片田舎に住み始める。そこで近所の不登校の女の子に英語を教えたり、猫を飼い始めたりしつつ、ときには自分たちの「世間からすれば普通ではない」生活に疑問をさしはさむ出来事にさらされつつ、それでも自分たちの日常を過ごしていく――そんな物語。


スローライフ、という言葉が脳裏をよぎるけど、すぐに「簡単な言葉にしてわかりやすくするけど、切り離された部分に大切な部分があることがある」という意味の作中の言葉がよぎり、それじゃいけないな、と思います。
世間的に見れば、いきなり田舎のボロ家に引っ越してきたり、男女で一緒にすごしているのに結婚はしていなかったり、二人とも無職で貯金だけで生活していたり――わけがわからないものでくくられるのかもしれず、それは便利な言葉でそのうちひとくくりにされてしまうかもしれないけれど、それでも、彼らの生活の輝きは簡単に表現できるモノでもなく。


日本語は表現に豊かな言語だ、ということを聞いたことがあります。
しとしと。しょぼしょぼ。さっと。ざっと。ぽつぽつ。ぽつりぽつり。ぽつん。ぱらぱら。ばらばら。ざあざあ。
すべて、雨が降るさまを表した言葉です。
他の言語をよく知らないからわからないけれど、どうやらこれは多いらしい。たしかに、すべての語句に別々の意味とイメージがある。しとしとは静かな雨だし、ざあざあなら激しい雨。
が、実はそれでも正確ではないんです。
今まさに降っている雨を正しく表現しようとしたら、そんな一言では片付けることなんてできない。
降る雨は毎回違う雨なのに、同じ言葉で表現できるはずがない。
何億という人間を「人間」と一言で言い表せるはずがないように。だってそのひとりひとりは違う名前を持ち違う個性を持っている。ついでにいうなら、同じ個人でさえ、昨日と明日では違う人間ともいえる。
だから、言葉とは実は何も表せていない。
少しだけ人より多く文字を使うようになって、その辺は前からわずかですが考えてきたことです。
一言では表せない。だからそれを積み上げる。一言であわせないなら二言、三言――そうして言葉どうしを組み合わせることで、ようやく、唯一無二の「それそのもの」を伝えることができる。
人間のDNAだってたった四つの素材の組み合わせで出来ているのだから、その何万倍も多くの素材を扱える我々はまだ幸いなんでしょう。


友達。恋人。このふたつの言葉に振り回されることがこのところ多かったのですが。
まあ、ひとりひとり違う人間どうしの関係も、たった数種類の言葉にはめ込もうとすることさえ、そもそも無理がある。友達といってもいろんな友達がいる。正確に言い表すには、その人たちの積み重ねをすべて語らねばならない。
それじゃ不便だ、わかりにくいってことで発明されたのが、「友達」という言葉なのでしょう。
これは他の言葉でも同じだと思います。例えば、学校にも行かず働かない人がたくさん出てきた。よし、じゃあその人を「ニート」と呼ぼう、とか。
でも、そこに落とし穴がある。ニート。たしかに一言で表すと便利になるけれど、そこにカテゴリーされた人たちはそれぞれ違う人間。違う原因でそういう状況になったのに、同じくくりにしてもいいのだろうか、と。
友達、という言葉があって。「友達だからこうしなければならない」と言われるけれど。根拠にできるほど、「友達」という言葉はしっかりしているのか? と思う。
まあ、世の中にはおうおうとして、その種の逆説はあるわけですけど。
大人はこうだから。
社会人はこうだから。
常識ではこうだから。
普通はこうだから。
みんな、そういう枠組みを理由にして、自分たちを縛ろうとしている。
たしかにそのほうが楽だ。みんながその枠の中にいるんだ。みんなと同じように振る舞えば、まあ、苦労することはない。そういうのが「社会」という枠組みだ。
でも、それは理由にはならないんじゃないか、と思う。
「枠の中にいたほうが楽だよ」と言われることは、まあわかる。けど「枠の中にいないとダメだよ」と言われるのは、なんか違うんじゃないかな、と思う。


俺は「普通」が嫌いだったのだけど。それはみんながやたらに「普通はこうだ」「それは普通はしないからダメだ」と口にするからそう思っていたのです。
まあ、嫌いすぎて逆に捕われてた感もあるんだけど。着物着て授業に出たりね。あれは今思うと、自分のキャラに溺れすぎてて、逆に「京路」という枠組みに自分を押し込んでいた気もする。楽しかったけど、まあ、本当にやりたいことじゃなかった(だったら常に着ている)
今じゃわりと冷静になってきて、「別に普通でもいいかな」と思い始めてきたりも。普通じゃないって疲れるし。楽なのも悪くはない。着物とか、実は不便だし。
けど、それでも自分がやりたいことは、我慢するつもりはない。
ただ、最近はちょっと先行きが不安になってきて経済力がほしいな、あったほうが便利だな、と思うから、「デビューしたい」欲求が高まってきているわけですが。その職(というのになんか抵抗があるけど)が、とりあえず自分がやりたいことに一番近いんじゃないか、と思うから、そうするだけで、実際にやってみて違った、他にやりたいことが見つかった、となったらそっちに移るかもしれないですし。


んー。
まとまらないな。
とにかく、「この作品の主人公である彼女がいる状況って、枠組みからは外れたことだけど、でも悪いもんじゃないよな」と思った、ってことかしら? あー。「とにかく」でまとめるのも、あんまりよくないような気がする。まとめるってことは、まとめるために切り落とした部分も存在するわけで。
まあ、わかりにくいことかもしれないけど、俺という人間の感じたもののすべては、書いたことすべてです。そう。本当のところってのは、わかりづらい。理解に苦労する。けど、その苦労をしてでも、その「なにものでもないそれそのもの」でありたいって気持ちもあるんですよね。


(わかりづらいことを、しかしわかりやすいように書くのは、また別問題の、つまり技術ってやつだろうけど――そこは未熟と言うことで勘弁)