『人間失格』

人間失格 (新潮文庫)

人間失格 (新潮文庫)

太宰治はものすごく共感するか、ものすごく反感を覚えるかのどちらかにきっかり別れる作家だ、という。
俺はどちらでもなかったかも。
なるほど、彼の苦悩は理解できるところは多い。みんなに気に入られようと道化を演じてしまい、それで周りを騙しているという罪悪感とか。本当の自分を知られて嫌われてしまうのではないかとビクビクするところとか。
 けど、なんだかんだで金持ちのボンボンだし、女にもモテまくりだしで、それだけ見ればうらやましい環境にあった感じもするし。まあ、だからこそ、苦悩があったのだろうけれど。


読んでいて、なぜか『ノルウェイの森』を思い出したのですが、まあ、それはたぶん気のせい。
まあ、慣れない文体でいまいちよくわからなかったのですが、わかった部分だけで判断すれば、おもしろかったです。というか、興味深かった。どこまでいってもみじめで、やるせない男の一生。落ちこんでいるときに読むともっと落ちこむ、というのがわかります。
特に、印象的だったのは第三の手記のしめの文章。
『自分はことし、二十七になります。』
この一文が、なんとも衝撃的だった。最後には主人公の人生はほとんど終わってしまっているのだけれど、年齢だけで言えば二十七。まだまだ若いはずなのに。
そして、こう続き、締めくくられます。
『白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。』
たしかに、四十以上なのです。
それだけ、彼の言葉は疲れきっていたわけです。
んー。他の「読者を意識し、懸命にサービス、奉仕につとめていた」という他の太宰作品も読んでみようかしら。


余談ですが、名詞を悲劇名詞と喜劇名詞に分類するという遊びをするという作中のシーンを読んで*1、『トラコメ遊び』というのが『トラックバック・コメント』のことではなくて、『トラジディ(悲劇)・コメディ(喜劇)』だということにようやく気づきました。
そういえば、トラックバックもコメントもそんなにしてなかったっけ。

*1:例えば、汽車や汽船は悲劇名詞だが、市電やバスは喜劇名詞。これがわからないやつは芸術を談じる資格をもたない、だそうな。