大晦日ラプソディ

さて、今年も残るところあとわずかとなりました。みなさん、この年の瀬をいかがお過ごしでしょうか?


……と、そんなこんなで、大晦日に書いてるっぽい気分で、大晦日に書けなかったこと書きます。まあ、今年も考え方によってはあとわずかなんですがね。あとたった365日と一時間。宇宙の長い歴史から見れば3時間も300日も3000年もわずかな違いです。
とにかく、大晦日ですよ。
今年は京都最後の年の瀬ってことで、実家に戻らず京都ですごしました。
なので、年越しそばを自分で調達しなければなりません。けっこう豪勢にしてしまおうと、そばは3玉くらいで、かき揚げに海老天も乗せてやろう、とか計画を立てていたのですが。
スーパーに行ってみてびっくり。
普段はせいぜい一玉50円するかしないかのそばが、150円。
いつもは100円足らずのかき揚げが300円。
こいつら、足元見てやがる!?


いやー、びっくりしました。
賞味期限をごまかすのはなしでも、たしかに年の瀬にそばの値段を吊り上げちゃいけないって法律はないですしね。とはいってもモラル的にどうなのか。そういえば賞味期限の偽装があれこれ取りざたされてから、そこのスーパーの牛乳の消費期限は10日くらい多めに書かれるようになりました。


結局、他のスーパーで買いました。普段どおりの値段っていいですね。


で、その夜。
除夜の鐘を見に行きました。
歩いていける距離に、日本三大鐘楼だかなんだかの、知恩院があるのです。
ばかでかい撞木の綱をつかんだまま、あお向けに倒れこむように全体重を使って撞く、独特の撞き方が特徴ですね。
やっぱり混んでました。
30分前に行ったのですが、鐘楼から行列が境内の半ばまで続いていました。鐘楼見えない。
でも、実はまだまだ混み具合は序の口だったんですがね。そのあとは門のほうまで行列が続いていたし。
その鐘撞拝観は、かなりの人数のために、300人単位で入れ替え性でやるようでした。
300人ということで、わりと順調に順番がまわってきたのですが。
300人。
スパルタの戦士ならペルシャ軍1000000と対決できる数字ですが。
すぐに順番が回ってくるってことは、それだけのものがあるということだったんですね。
戦場でした。
押し合いへし合いしながら、鐘楼の周りを囲む群衆。みんな手に手にカメラやらビデオやら携帯を持って、鐘撞きを撮影しようと必死です。一回撞くごとに、警備員が「撮影された方は後ろに下がって先へ進んでください!」と叫んでいるのだけど、なかなか進むものじゃない。みんな、何かに憑かれたかのように撮影に躍起。
そんな下々の妄執などないかのごとく、一定間隔で撞かれる大鐘。
ああ。
なんか極楽と地獄の縮図だね、こりゃ。
除夜の鐘は煩悩を払うとかなんとか言いますが。
そこで僕は人間のあさましさと世の無常さを見た感じがします。



よいお年を。