クリス・クロス

クリス・クロス―混沌の魔王 (電撃文庫 (0152))

クリス・クロス―混沌の魔王 (電撃文庫 (0152))

電撃ゲーム小説大賞第1回、その金賞受賞作ですな。電撃の小説賞は今年で15回。当時は最初ハードカバーで発行されたんですね。15年前なんて俺まだ小学生っすよ……


とあるヴァーチャルリアルRPGのテストプレイに参加した主人公。パーティを組み、モンスターを倒し、アイテムを集めたりと最初は普通にRPGしているが、だんだんと異常なことが起きはじめ……
という話。
どこかで聞いたことある――、なんていうことなかれ。なにせ15年前。多分当時では斬新なネタだったのだと思う。
いまやネットRPGなどで一般に広く浸透している「不特定多数の人間と一緒に冒険する」ということ自体が、オリジナリティがあると言われるんじゃなかろうか。TRPGは昔からあっただろうけど、これを多人数という発想は難しかったんではないかと。
その証拠に、こんな描写がある。このゲームの制御コンピューターはギガントといって、二五六人が参加するこのゲームを制御しているのだけど、その性能を称えた文。
『このキャラクター像を二五六人分同時に動かし、二五六人それぞれの視点での映像にしているというだけでも、「ギガント」の驚嘆すべき能力がうかがえるだろう』
うかがえないよ! ネットRPGってあれ同時に何人プレイしてるんだよ!
と、現代人たる小生は思ってしまう次第。まあ、バーチャルリアリティを構築するってなると処理する情報もけた違いだからその人数を制御するのも大変なのやもしれないが、しかし、当時としては「数百人単位の人間が同時にRPGをプレイする」という発想がそもそもすごいことだったんじゃないかな、と思う。
俺がクロノトリガーを最初にプレイしたくらいかなぁ。
うーん、そう考えるとすごいな。


まあ、以下ネタバレで。15年前の話にそこまで配慮するべきかと思ったけど、一応。

まあ、そんなわけで当時の人が読めば最初のRPG的な展開も段違いにおもしろいのかもしれないけど……俺からすれば素朴な印象がぬぐえない。いや、さすがにエンタメ的な演出があるのでおもしろいし読ませる文章なのだけど、しかし、素朴。かざりっけがないというか、普通の多人数参加型RPG。
でもそのままで終わらないのが高畑京一郎というか……中盤からの展開はちょっとびびりました。
まあわかってると思うけど、主人公たちはゲームの中に閉じ込められてしまうわけですよ。まあ、ここまではあらすじを読んだ時点で予測できる。その原因がマッドなプロジェクトリーダーの暴走というのは少しがっかりだったけど。
でもラスボスとの戦闘の最中からの展開が、愕然。
ラスボスを倒したと思った瞬間、ベッドで目覚める主人公。スタッフが、ゲームクリアを告げてくる。他の仲間も目覚めて顔を合わせたりするが、パーティのリーダーだけは「ここはまだゲームの中だ!」と言って暴れ、スタッフに殴りかかったりする。
主人公はリーダーをなだめようとするが、ふとした瞬間、匂いをまったく感じないことに気づく。
ここはリーダーの言うとおり、本当にまだゲームの中だったのだ――。
こうして書くといまいち伝わらないかもしれないけれど、この瞬間はけっこうグラリときました。何が現実で何が虚構化わからない、足場の落ち着かない不安定感。結局これは本当にまだ虚構だとはっきりして、再びラスボスと相対し、そして撃破してゲームをクリア、脱出することがdけいるのだけど……結局、ゲームから出ても本当のところははっきりしないまま。匂いはたしかに感じるが、犯人であるプロジェクトリーダーや、ゲームの中でともに戦った仲間がどうしているかは確認できず、主人公はモヤモヤとしたまま日常に戻ってしまう。
そしてそのモヤモヤは、そのまま読後感となって俺の中に残るという。


まあ、この「現実か虚構かの曖昧な感じ」というのもわりとよくある演出なのだけど、それをスマートにやってのけるのはさすがというかなんというか。